大岩が裂けて湯が沸き出したという裂石温泉。都内で最も標高の高い大菩薩峠を山梨側に下ったところにある。東京近郊にありながら昔は地味で、知る人も多くなかったと思う。実際、私が裂石温泉を知っていたのも、その当時は奥多摩方面の林道をちょくちょく走りに行っていたからであった。ちなみに付近には、昔々おいらんを踊らせながら舞台ごと渓谷に突き落としたという「おいらん淵」があり、今でも出ると言われるそこはオカルト好きにも訴求する。そしてそれを知らなかった当時、「おいらん淵」とさほど離れていない、一ノ瀬川と泉水谷の出合でよく車泊してたのだが、まあこれは余談だ。それにしても奥多摩には、犬切峠だの牛首谷だのおどろおどろしい名前の場所が多い。
昔、裂石温泉付近は国道のくせに九十九折れの林道に毛が生えた程度の道路だったが、最近では走りやすく整備されたせいか、休日平日に関わらず結構な賑わいを見せているようだ。雲峰荘の駐車場には、多くの車と数台のバイクが停められていた。ただ、その殆どは内湯の方に入っているらしく、わいわい賑やかな声が漏れてくる男女別の内湯に比べて、混浴露天風呂の方は静かなものだった。
露天風呂は旅館から少し離れた所にある。私とツレが二人でとぼとぼ歩いて行くと、中年を微妙に過ぎた頃のおばさんとおじさんのカップルが、露天風呂の入口前でなにやらうろうろしている。私たちが入口を開けようとすると、おずおずと声をかけてきた。
「入るんですか?混浴ですよ。」
と、おじさんが言う。そんなことはハナからわかっている、というか、それが目的である。「ハイ」とツレが頷くと、おじさんの顔が急にパッと明るくなり、連れのおばさんに向かって「ほら〜!」。どうやら、既に男性の先客がいたために、おばさんが入るのを渋っているということらしい。しかし、おばさんは恥じらいながらもじもじするだけで、決心がつかない様子だった。なんとも、とても初々しいおばさんだ。
そんな二人を残して、私とツレはとっとと扉を開けて中に入った。脱衣所は男女別に分かれており、女性でもさほど入りにくいようには思えないのだが…。結果的に、最後までついにおじさんおばさんカップルは入ってこなかったので、やっぱりどうしても混浴に対する抵抗感を払拭できなかったのだろう。
露天風呂の湯舟は、三つの巨石が屋根を作っている石室のようなものと、なにもない開放された部分のふたつに仕切られている。先客は若い男性の三人。見るからにバイク乗りだ。ツーリングの途中なのだろう。私自身、昔バイクに乗っていた時は、ツーリング途中で寄り道する温泉が大きな楽しみだったものだ。
先客の三人は石室の方に行き、私たちはもう一方の湯舟と、自然に分かれた形になった。内湯に比べて静かな露天風呂には、午後の日差しが柔らかい光を投げ掛け、時間の流れが止まってしまっているようだった。東京近郊といってもここは山梨県、都の条例に縛られることもなく、混浴でも水着着用を強要される事はない。温泉らしく開放的で、まったりととろけるような時間が過ぎて行く…。
俄に静寂が破られ、女性脱衣所の中ががたがたと騒々しくなった。1人とかではない、かなりの人数がいそうな気配である。女性の団体でも入ってきたのだろうか。季節はちょうど春休みの頃、もしかして卒業旅行の女子大生? …いや、もともと別に女性と遭遇することが目的ではないし、期待もしていない。しかし、いざその状況に置かれれば、やはり気分は…
まあ、あれだ、某巨大掲示板的に言うなら、
キタノ━━━━━━(=゚ω゚=)━━━━━━!!!?
といったところだ。
そして、間を置かずがらりと勢いよく女性脱衣所のドアが引き開けられ、土曜ワイド劇場の「混浴露天風呂シリーズ」に出てくる温泉ギャルズばりに、どやどやと雪崩を打つように飛び出してきた女性たちは…
まあ、あれだ、某巨大掲示板的に言うなら、
オバサンダ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!
といったところだ。
ネガポジ反転された古谷一行の虚脱顔のドアップ静止画、といった場面を思い描いてもらえれば、私の心理状態はわかっていただけるだろうか。
いや、おばさんだからどうだというわけでもないのだが…。若かろうが歳を取ろうが、その性質は歳によるものではなく個人に帰するものだと思う。ただこれは言えるのだが、恥じらいのゲインは歳を重ねるごとに確実に下がりはするだろう。とはいえ、混浴だろうが何だろうがのびのびと温泉を楽しめるのは、それはそれで素晴らしいことには違いない。ただちょっと、五月蝿すぎるのがあれだが…。
ハンドタオル程度でろくに身体も隠さず、わいわいがやがやと湯舟に飛び込んでくる様は、まるで群れになった白ト…いや、言ってはいけないことだ。まったく、目のやり場に困るのだから、もう少し気を使って欲しいものだ。私とツレは、湯舟の隅で小さくなっているしかなかった。
若い三人の男性を見つけると、おばさん集団のテンションはさらに高くなって行った。仲間内でぱしゃぱしゃ写真を撮っていたかと思うと、どさくさに紛れて「ハイ!チーズ!」などと言いながら三人に向けてもシャッターを切っている。眩しいほどの若い肉体に興奮は最高潮といった感じか。もしこれが男女逆だったら犯罪になるぞ…。
ものの五分程度だっただろうか、来た時と同じように唐突に、甲高い笑い声と共におばさん集団はどやどやと去って行った。まるで、イナゴの通りすぎた後の蹂躙され尽くした大地ように、再び静けさに包まれる露天風呂。茫然と取り残された五人…。
兵共が夢の跡、諸行無常の鐘が鳴る…
まあ、大袈裟に書いたが、実のところ特に嫌な思いをした訳でもない。どちらかというと、陽気なおばさん達となかなか面白く楽しめたので、それだけは一応断っておく。
それにしても思い返すにつけ、あの時カメラを向けられなかった自分…。ちょっと悔しかったりもする。